昭和42年06月21日 朝の御理解
ちょっとした努力、ちょっとした精進と言う様な事が、大変おかげを受ける元になりましたり、実意丁寧神信心、それを実際に表して行くと云う事は、こんな事だろうかと、改めて思う様な事が御座います。その今朝、霊様のここで、あの非常にこう何時もと違った、何か異様なおいさみを頂きました。そん時私はあの先日、三、四日前に。あの有田の茶碗屋さんから、あの箸置を一箱送って来て居ったんです。
以前あの買って来ておったのが、違ったものを送って来とった、それを竹内先生が何回かむこうに云うて下さったらしいですから、向うがそれが出来たから、送って来た訳で御座いましょう。ですから当然その以前送って来た、あれは、あの大体はサ―ビスで貰って来とったのですね、箸置だけは、ですからあのいいと云やいいですけれども、代わりのものを送って来取るからには、矢張りあの五十人前からの事出御座いますからあの、当然送り返さなければいけない訳ですね。
それをあのまだ、そのままにしてあった事をふと私思い出して、ああほんに今日あれを荷造りさしておかなければと思った途端でしたですね、あのおいさみがあったのは、ですからもうとにかく、私の信心といったが本当でしょうけれども、まだ私の信心の周囲に集まって下さる皆さんの場合でもです、どうもそう言う所を疎かにする傾向が非常に合楽の信心の中に強いですね。
もう良か良か、そん位の事は、と言った様な所なんです。ここんところをですね、私は大事にして行くと云う事が、例えばもちっと大きな事になったら、それはもう当然それを致しますけれども、それがその今云う様に、ちょっとした事であったりする場合にですねけどもそう言う様な事が、神様の心に適う事であるならばですよね、こりゃせにゃ馬鹿らしい事になりますですね、
たったその位の事、今日のあのおいさみをもって応えて下さった様にです、神様のお喜び頂くものであるならば、そのちょっとした所を、努力さして貰わなければならない、又は精進さして貰わなければならない、又心がけさしておかなければならない。信心の上においてもそうなんです。私、昨日誰にでも、なら申しませんけれど、ああた方じゃけん申しますよと云うてから、原さん達夫婦に申しました事でした。
折角朝の御祈念というてお参りをして居られ、何時も是こそ、きちっと御祈念前には出て見えて居ったのが、最近ここ四、五日出て見えられないのですね、ですから御祈念半ばにまあお参りして、見えて居られる訳でございます様です。是なんかは私はちょっとした、いわゆる努力だとこう思うんです。十分か十五分かちょっとした努力、精進なんです、努力と精進とこう申しますと、なんですけれども。
なら今日の私が箸置きを送り返す為に、荷造りをしとかなければならんと、言う様な事なんかは、こりゃ努力とか精進とかと言う程しの事では御座いませんよね。もう当たり前の事として、それがなされなければならない、たった箸置きだからと、それでも、ああしておいさみが御座いますでしょうが、だからあのそう言う所をですね、あのきちっとして行く事が神様に、例えばあの様にお喜び頂く事であるならばですたい。
私共の日常生活の上にも、本当にあの心掛けたら沢山あるのじゃないかと思いますですね。是はどうでも皆さん、あのおかげを受けねばいけないと思うですね。私まあちょっとした事で御座いますけれども、あの応接台の上にもう四時頃から座りますと、次の人が見えたりなんかして、一杯こうお茶をあげたりする様な場合なんか散らかります、けども立って行く時そこを私いっぺん片付けなければ気が済まん。
矢張りそういう習慣と言う物を付けなきゃいけませんですね。もうほうからかしたなり立って行く、ちょっと心掛けて、まあ自分がそれをあちらへ持って行く、調理場の方まで運んでおくと、そしてそこは布巾持って来て拭いておくと、まあこう言う様な事でも、ちょっとした実意丁寧と言う事になるのじゃないでしょうか。昨日あの秋永先生と、冨永さんが朝の御祈念に参って居られました。
いろいろ御用を夕方まで、あれしこれし、しよんなさいましたら、夕方まで御用頂いて、皆さんお気付きになったでしょうか、あの玄関の入り口のたたきのところですね、あそこを綺麗にして行かれました、それから上り台の欅の上り框のところを磨いていかれましたから、もう実に見事に綺麗になっとりましょうが。ああ言う様な事でも、お互いがちょっとですね、あの努力し合うというか、努力と云うことではないですね。
ちょっとあの精進、精進と云う事でもない、気を付け合うて行くと云うことになっていきますと。私が何時も例をもって申します様に、履物一つでも皆んながその気になったら、何時もきちっとして、整頓が出来るんだと言う様なことを申しますけど、そう言う様なこと。私何時も思うんですけれど、あの信者控室の火鉢の中にもういっぱい、こう煙草の吸い殻やら、マッチやらがあるですから。
私は何時も、綺麗にマッチやら吸い殻一つでも、綺麗にしてからカンの中に入れるのですよ、私は実意丁寧神信心と云う事は、もうこれはですね、大きなおかげを頂きたいと思うならですね、小さいところのそういう、心使いが大事だと思いますね、大きな信心をさして貰うなら、もう大きなところだけが、出来ていきゃいいと言う物じゃないですよ。例えて申しますなら。
いつも六時十五分より早く、御祈念を終る事はないですけれども、今日は六時で御座いましたですね、ですから本当に十分か十五分間か、早起きしてからおかげ頂いとったら、今朝の御理解にも、間に合うと云う事になるのですけれども、まあよかよか、まあ六時十五分までに着きゃええと言う様な人達は、今日の御理解に、結局あわれなかったと云う事になる訳なんです。
例えて申しますなら、その箸置き位、而もそれは無料でサ―ビスして貰っておったもの。けれども、それは矢張り交換して貰うと云う事になれば、只で貰っておった物でも、それは返さなければ当然いけない物だと思うのです。それを私迂闊にしておったのを、御祈念中にちょっと思い出させて頂いてです、ああ、あれは荷造りしてから、早く送り返される様にしとかなきゃいけないと。
そう思う事が、神様のお心に適う事であり、喜んで頂く事ならば、是はせなければ馬鹿らしい事です。もうよかよか、こん位のもんは、というて送り返さんでんです、向うは送ってくれと云わんかも知れませんよ。五十客分の、言わば箸置きを、儲かる事になるかも知れませんよ、それは、いかにも儲かった様にあります、けれどもです、神様の方から差し引かれるのは大きいです。
その位のことが、神様にお喜び頂けるものならばです、私はそう言うところを、大事にしていかなければいけないな、特に椛目の、じゃない私自身がそうで御座いますから、やっぱり周囲に集まって見える皆さんの中にも、信心生活の中にもです、もうよかよかと言った様な物が濃厚にある様に思います。だからそう言うところを例えば、今日一日の焦点において御覧なさい。
もう幾らもある場合にはそれは原さん達の場合なんかは、言わば今日は十五分か二十分早く見えられるだけの精進をなさった訳で御座いましょう。昨日一口こう申しましたら、今朝からそれを実行して居られます。だからそれだけのちょっとした精進なのです、例えばなら私共の周辺にです、そういうもうよかよかでほつたらかしてある様な事がらをです、私共がそれを実意に今日取り組んで、おかげを頂く事がです。
神様にお喜び頂ける事なのだ、もうなんか大きな事、沢山の事をしなければ神さまお喜び頂けないと云う事じゃないのです、とするならです、こりゃしていかなければ本当に云うなら馬鹿らしいです。そこから私は小さいと思うけれども、その小さい所から折角のおかげが漏ってしまう様な事になったら大変で御座いますからね、こりゃもう本当にそうですよ、二、三日前私、お風呂が沸いたと云うから入りました。
そしたらもうお湯がこの位しか入っとりませんもん、こりゃどうした事じゃろうかと私は思うた。ところが蓋をする時に、ちょっとこうその鎖がついとってから、風呂の栓がピタッとせくと、ちょっとこうすく様になっとるんです、だから少しすかしとかにゃいけん。それがあのちょっとばっかりすいとる、ちょっとばっかり斜めにこう栓がなっとったもんだから、そこから漏ってしまっておる訳です。たったちょっとの間に。
ですからどんなに風呂に一杯お湯を入れておってもです。どんなに沢山神様がおかげを下さりよってもです、そのちょっとした所から漏ってしまうと言った様な事がですあるんですです。から私共が改めてそこん所を思うてみなければいけない。たしかに買うて来た時には、一斗の米を買うて来とったつじゃった。帰ってみたら五升しか無かったどうしてじゃろか、どうしてじゃろかと云わずにですね。その袋をいっぺん調べてみなきゃいけんです、成程ここにこんな小さい穴があいとったもんじゃけん。
やっぱり持って来る間にどこかで漏って来とる、こんな筈じゃない。まあだおかげ頂かなければ、ならん筈ばってんと思う様な事がありますよ、所がそういうちょっとした不実意な事からです、私はおかげが漏っておるとするならば、いわゆる馬鹿らしい話しでしょうが、ちょっとそそくっときゃすぐ出来る事なんですから、そこからあたらなおかげが漏ってしまう様な事では相済みません。教祖の神様が実意丁寧神信心と仰るのは、そう言う所にも実意を込めていかなければいけないのだ、と云う事ですね。
どうぞ。